藝大入試論考 建築科

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建築デッサン原論②塗り

いやー。間空きすぎた。もはや来年向けの初級者講座第二回。

 

〈建築デッサン原論〉

パース

②塗り

③光の反射・屈折

 

第一回のパースでだいたいの形は取れた。さすれば線で囲まれたそれぞれの面に塗りを乗せることが、デッサンの次の段階である*。

鉛筆の芯を紙に擦り付け、無限に往復する──簡単だ。ある領域を「塗る」という技術は、誰もが習得している。しかしここがデッサン(素描)の現場となれば、大切なことは「実際の空間にある立体」を塗っているという意識である。すなわち色々な「塗り方」の幅をもって、その立体のリアルな見え方を表現する、ここに基本的な描画理論が求められる。

※石膏デッサンなど有機的なモチーフを描く場合は、線で形をとらずに初めから塗りで捉えていったりするが、形が幾何的に絞られている建築科ではこの進め方は一般的ではない。

 

 

0. 塗りの3要素

まず塗りを動作として分析すると、ここに大きく3つのパラメータがある。1つは筆圧。筆先にどれくらいの圧力をかけるか。もう1つはタッチ。これには筆触;鉛筆をどれくらい尖らせて・どれくらい寝かせて紙に当てるか、ないし筆跡;どんな方向・密度の線の集合で面を描くか、を含むことにする。くわえて一般に馴染みが薄いのが、鉛筆の硬度、すなわちどの硬さの鉛筆で描くかということである。これについては少し解説。

コラム:鉛筆の硬度

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一口に鉛筆といっても、画材屋に行くと豊富な芯の硬さ(黒さではない)がラインナップされている。固体なのにかたいもやわらかいも無えだろと言いたいかもしれないが、硬さというのはモース硬度の話で、要はやわらかいほど粒子の結合が崩れ(て紙に付着し)やすいということ。表記は全社共通で、硬い方から

… 3H, 2H, H, F, HB, B, 2B, 3B, …

とされているが、統一の基準があるわけではなくて、例えば同じ硬度でもステッドラー(ルモグラフ)はハイユニより1,2段硬いなどと言われている。ちなみにHはHard(硬い)、BはBlack(なるほどH系になると黒さの限界が落ちてくる)の頭文字である。FはFirm(しっかりした)…は?何だお前。

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で、これが筆圧またタッチにどう絡んでくるかは、実際描き比べてみれば直ちにわかることである。敢えて言語化を徹底すれば、B系⇒やわらかい⇒粒子が紙に付きやすい…ほうが、まず同じ黒さを出すために要する筆圧が下がるため、紙の目(表面の凹凸)が潰れずに残る。加えてすぐ芯先が丸まって太くなるので、寝かせて丁寧に塗れば線の筆跡を埋没させることができる。反対にH系なら、強い筆圧で紙の目を潰し、代わりにシャープな線の筆跡を立てることができる。

美大受験生はハイユニかルモグラフの2H〜6Bあたりを数本ずつ揃えているのが一般的だが、あまりそれには囚われず「自分の」使いやすい鉛筆セットの個別最適化を考え続けるべし。詳しくは以下も参照のこと。

 


OCHABI_質問80「ハイユニとステッドラーを併用、なぜ?」美術学院2016

 

筆圧タッチ、鉛筆の硬度。これらのパラメータを操作することで作り出される面の表情には、また大きく3つの要素があるだろう。すなわち、筆圧(と硬度)で導かれるトーン(面の階調;固有色+明暗)、タッチ(と硬度)で導かれるテクスチャ(面の質感)、加えてそれらのエッジ(面どうしの際、境界)の強さである。

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一応言っとくけど、これ暗記とかするもんじゃないよ。これまで塗りを直感と慣れによってしか解釈してこなかったような、であるがために思考のカオスに嵌っているような人のために、理論的な分解・整理の一路を示しているだけで。

 

コラム:テクスチャの美学
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塗りの3要素のうちトーンエッジはある程度普遍的なものだが、テクスチャに関してはその限りではない。B系で紙の目を浮かすもの、擦って徹底的に潰すもの、H系で線を立てるにしても、ランダムに手首に任せるもの、徹底的に統制を執るもの…予備校や個人によって主義主張はあれ、これが正解、最適解ですというものは無い。自然に見えれば、それ以上は好みの問題である。

ただし、中級者はときどきこの「自然に見える」を置き去りにする。現実世界におけるデカい面の見え方というのは“一様なトーン+一様で僅かなテクスチャ”なわけで、面が不自然に見えるときはテクスチャを“立たせる”ことより“均す”ことを意識した方が良い。無闇に擦らず、寝かせて同じ筆圧・同じ方向でひたすら密に線を重ねる、シンプルだけどそれだけで十分なのだ。いずれにせよ、テクスチャは小手先の技巧においてではなく、あくまで引きで見たときのリアリティにおいて議論されるべきものである。

 

ではここからは、塗りの3要素が絵画空間における効果とどのように対応していくかを見ていこう。

 

1. 陰

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陰影」の二字はどちらも「かげ」と読むが、一般には遮光体の面上で光の当たっていない暗い領域、は遮光体から離れた床や他の面に投“影”される暗い領域を指す。

まずの話。これは自明にトーンと連関する。光が当たっていれば明るく、当たっていなければ暗い。ただし、これは上の図のようにゼロイチの話ではない。明部のなかでも、面の角度が平行光線に対面して垂直に近くなるほど(単位面積あたりに受ける光束の量が多いので)明るくなるし、陰であっても多少光の回り込み(回折)があるので暗い中にもグラデーションが生じる。

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「光に対して30°の面は60°の面の2倍黒い」というような単純な比例ではない(し、そこまで厳密に捉える意味もない)のだが、とにかく重要なのは「光に対面しているほど明るい」という相関を守ることである。光に対する角度が同じ(平行な)面は同じ明るさで描き、それらの序列に矛盾の無いようにすること。

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画面上での最終的な面のトーンは、明るさの度合いに加え、

  • 空気遠近法(本稿3で解説)
  • 素材の固有色(本稿おまけで解説)
  • 床や他面からの反射光(次回解説)

などが乗って決定する。

 

2. 影

今度は…床や他面に落ちる方の「かげ」の話。まず影がどういう現象か確認しておくと、光源と面の間に物体があるとき、それに遮られた部分に光が当たらなくて暗くなる。

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暗くなるのだからトーンの話であるのは当然として、ここではもうひとつエッジの話をしておきたい。

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遮蔽物に切り取られてから地面に落ちるまでの空気中で、光はわずかに分散する(あるいは遮蔽物の際で回折する)。これにより、影のエッジは遮光体から離れるほどぼやけるのである。晴れた日の電柱なんかの影を観察してみればよくわかる。このエッジのぼやけこそが影の影らしさ、面そのものとの違いだと個人的には思う。

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初心者(僕の話だが)はしばしば、床に別の黒い面が敷いてあるような、いわゆる「海苔」を描いてしまう。これの最も重大な原因はやはりエッジのぼかし不足だろう。応急処置として擦るだけでもだいぶマシになる。ほかにも、光が当たっていないからと言ってドス黒く塗ってしまう(影のトーンも周囲とのコントラストの中で浮かないように調整すべき)、黒いからと言って影だけ違う硬度、タッチで塗ってしまう(影は面の一部分に純粋なトーンが乗っているだけなので、テクスチャは明るい部分と同じに見えなくてはいけない)なども「海苔」の原因となる。

ところで、光の分散(回折)をもっと信頼すれば、もはや影の中心部までもが遮光体から離れるほど薄くなっていくだろう。そこで、上の立体の薄い影と下の立体の濃い影の重なりを描き分ける、なんて人もいる(おまけの中央作品も参照)。

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うまくやらないと海苔(別の面)っぽさの一助となってしまうし、好みの分かれる表現だ。

 

関連:影の形の求め方
www.gdpass-k.site

 

3. 奥行き

ここまで、光に対するかげによって「実際の空間にある立体」を浮かび上がらせてきた。しかしまだ何か足りない。シメは奥行きである。

早い話が、面が視点から遠く離れるほどトーンは薄まり、テクスチャエッジはぼやけていく。これがモナリザから代々伝わる空気遠近法──線の遠近法(パース)に対して、大気中のちりによる光の僅かな分散が生み出す塗りの遠近法である。

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それが最も象徴的なのは空間構成の(地面)だろう。上は床の例としては不適だが、数多の参考作品に明らかなように…建築科では通例、床はしっかりとトーンを乗せて描かれる。それはアイライン付近にかけて霞んでいく空気遠近法を見せるためだったり、影や映り込み(次回解説)といった重大な空間説明を自然にするためだったりするが、とにかく面積あたりで立体と同じくらいの手間がかけられるほど、床は大切なモチーフのひとつだ。まったくこんなことをする科は建築くらいのものだが、扱うスケールを思えば頷ける。ファイン系の科で言われる「絵画空間」なんて所詮卓上のごっこ遊びだが、建築科は違うのだ。地平線が見える。

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ちなみに、空気遠近法は色相にもかかる。光の波長による屈折率の違いで、遠景は白むだけではなく少し青みがかる。これは色を使う総合表現や建築写生で活かせるだろう。…ところで空が青いのは同じ理由なわけだが、空というのはほかでもない無限遠であって、これが青くないときは注意が必要である。すなわち、奥闇なら奥に行くほど黒くなるし、空も夕焼けなら遠景は赤くなるだろう。青みがかるというよりは「無限遠の色に溶けていく」と覚えておいた方が差し支えないかもしれない。

 

コラム:影と奥行きのジレンマ

影は遮光体から離れるほどトーンは薄くエッジはぼやけ、また面も奥に行くほどトーンは薄くエッジはぼやけると説いた。さてここで、奥に足をつけて手前に伸びる影を描いてみましょう。押さえるべき2つの効果はみごとに相殺して、近くも遠くも、足元も高みもない一様な影が爆誕する。終わった。

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手前に突き出すキャンチ(片持ち)構成は迫力があって大好物なのだが、この影のジレンマは欠陥。結局僕は、トーンにおいては奥行き、エッジにおいては遮光距離による効果を勝たせて役割分担をさせることにした。遠景でもエッジは大して ぼやけないし、遮光体が高くてもトーンは言うほど 落ちない。そうだろ?そうだよな?そうなんだよ。 

 

まとめ

  • 塗りでは筆圧/タッチ/硬度を操作して、トーン/テクスチャ/エッジを作り出す
  • 面は光に対面しているほど明るい
  • 影は遮光体から離れるほどエッジがぼやけ、トーンもやや薄まる
  • 面は遠くに行くほど無限遠のトーンに溶けていき、テクスチャやエッジもややぼやける

全部わかった気がしたら、さぁ実際に描いてみよう。描いててわからなくなってきたら、またいつでも帰ってきてね。

 

実際の作業を観たい人は動画もどうぞ▼


空間構成デモスト(フルーツ)


空間構成デモスト(大西)

 

 

 

おまけ. 素材

いやぁ、あの…ひとつ、そもそもいい?トーンとかテクスチャとか言ってっけどそもそも、その、それは何なの?それはその、何の トーンなの?何の テクスチャなの?つまりその、素材だよ。

僕が初めて予備校で入試課題を目の当たりにしたとき、ふとそんなことを思った。みんなが描いているその灰色の物質は石膏なのかコンクリートなのか何なのか。謎であった。そしてその謎は解かれぬまま、僕は合格してしまった。たったひとつの非常に素直な問いを憚り、忘却し、いつしか自ずから謎のマテリアルを描き始めたとき、人間は高等教育の奴隷になる。

控えめに言って、素材を想定しない素描など虚構である。実際、公式の評価項目にも

③ 素材及び立体が創り出す空間の描写力

とある。立体の形態が同じでも素材の質感が変われば空間性が激変するというのは建築では常識的な話で、藝大入試でも──空間構成においても総合表現においても、そこの自由意志は保証されてきた。H30空間構成で散見される別種立体の色分け(素材固有トーンの付与)はもちろん、不透明指定の無かった年は立体の一部透明化までもが工夫として認められた。しかしテクスチャとなると、素材の意図は集団的にスルーされ、紙のテクスチャないし鉛筆の筆跡でしかないのが現況である。


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多摩美なんかでは建築系でも素材が与えられる(左)。僕も一時期空間構成を木材でやろうとしていた(中央)。樹種レベルで描き分けられるようになって、エスキースに“これはセンノキ、これはウォルナット”とか示せたら鬼カッコよかろうと思っていたが、「木目との比率でスケールが小さく限定されてしまうおそれがある」という(フルーツ)の指摘によりあえなく断念した。その(フルーツ)は一方で反射のある金属を描いたりしていた(右)。それから二人とも透明素材の屈折を研究していたように思う。反射と屈折については次回詳述する。

いずれにせよ、「素材自由」というのは必ずしも「考えなくていい」ということではない。多くの予備校で組まれている静物デッサンも素材テクスチャの練習くらいにしかならないのだから、何かしら研究してみると面白い。分野の発展というのは、案外こういうラディカルなところにあるのだと思う。

 

(大西)