藝大入試論考 建築科

  東京藝術大学美術学部建築科   合格者有志による入試情報・論考ポータル

(大西)流・線形エスキース

平成29年12月。

河合実技模試で渾身のデコンストラクションにC+Cを叩きつけられた男は、自室の机で独り思いつめていた。僕の作品は僕なりに誠実なんだ。どうしてみんな、それを解ってくれないんだろう…?

その晩芽生えたひとつのエスキースのアイデアが、間もなく全てを飲み込み、のちに前代未聞の“形式受かり”を具現化することとなる───

 

あーどうも、(大西)です。日頃Twitterエスキースこそ入試の本質だ”と散々説法しておきながら、具体的なことには全く踏み込めていなくてごめん。偏に僕の怠惰のせいだ。この時期になってエスキース関連の質問が増えてきたのは本懐だが、その念頭にあるべき一例を共有する必要がある。ここでは僕のエスキースを、各所に出してはいた本番の再現を引いてまず紹介し、それにまつわるとりとめのない考察を置いておきたい。

 

2.総合表現


f:id:GDpass_K:20180924033504j:image

f:id:GDpass_K:20180924033450j:image

f:id:GDpass_K:20180924033518j:image

▲予備校寄贈用にエスキース・立体スタディ・文章をまとめたもの。

はじめに、問題を裏返すより前にやることがある。A3×3枚のエスキース用紙を全て半分に切ってA4×6枚にすることである。これを両面テープで縦に継ぎ足しながらエスキースを進め、最終的には巻物のようなエスキース用紙ができあがる。

f:id:GDpass_K:20180924034836j:image

▲本来の形状。壁に貼りやすい

i.オリエンテーション

f:id:GDpass_K:20180924040140j:image

プロトタイピングを発進するに先だって、コンセプトの大枠の方向性を定める段階。A4×1枚分ぐらい。

まず問題文を熟読して鍵となる条件を要約し、脳に良さそうに丸で囲う。次に〈とりあえずの理念〉と題し、諸条件をできるだけシンプルに満たすような(一石二鳥、三鳥な)解を求める。それが非自明な場合は、核となる問いを立ててそれに対する応答の全選択肢を洗い出して批判を与えるなどの出発がある。本番のこれはあまり良くないパターンで、条件に優先順位をつけたまではいいが、結局思いつきの案出しから出発している。全選択肢を出せ(るタイプの問いじゃ)ないと、妥当性の担保が揺らぐのだ。

ここは唯一NNの光る場面でもある。周囲の受験生の出方も予想しつつ、20〜30分かけて慎重に自分の方向性を見極めよう。慣れるとその後のプロトタイピングの伸びしろとかも見通せるから、ある程度恣意的に検証作業を操作するのがプロのやり口である。

 

ii.プロトタイピング

f:id:GDpass_K:20180924045119j:image

大枠のコンセプトをもとに、立体スタディとそれに対するフィードバックを反復することによって案の改善を重ねていく、このエスキースのメイン・プロセス。A4×1〜2.5枚分ぐらい。

エスキースを「No.○」と線引きし、それと対応した立体スタディを作る。与えられたケント紙を切り出し、まずは全条件を満たす最もシンプルな模型を作る(いきなり全条件が難しい場合は数回に分けて反映していく)。そこからスタートすることで、以降どこで打ち切っても終了条件を満たすような土台が整う。ポイントとしては、模型には必ず敷地を敷くこと。敷地指定がある場合はそれも初期条件の一つだし、そうでなくともあとあと地形環境が同時に検討できたり、ケント紙3枚をうまく消費できたりする利点がある。また、切れ端で人(の身長)を作り、模型の要所に立たせること。これがヒューマンスケールからの乖離を防ぐ。

エスキース用紙に戻って、模型のNo.と対応した欄に案のフィードバックをする。まずは新たに与えた意図・操作を▶︎で箇条書きし、必要に応じて簡単なドローイングを添える。つぎに、それで満たした条件や見えてきた問題点を分析してで箇条書きし、次のバージョンで加えるべき操作の見当をつける。

このセットを何回も繰り返すことで、コンセプトをブレイクダウンし、造形や環境設定の密度を詰めていく。全条件に対してコンセプト-造形が十分スマートに洗練されたと思ったら、あとは微調整を加えて決定案とする。だいたいそれがNo.3〜6になる。本当はもっと重ねたいが、入試程度の条件量だとだいたいこの辺で収まってしまう。時間も厳しいしね。

 

iii.決定案

f:id:GDpass_K:20180924045128j:image

敷地(単位はB3を6分割した正方形)を2〜4つ使ったデカめの模型を作り、エスキース用紙ではB3・B2の構図決め、A4(文章)の要点整理〜下書きを順に行う。A4×2〜2.5枚分ぐらい。

ここは特に変わったこともないが、ひとつだけ。各々には〈表現として〉という項目を設けていた。ただの図、ただの写実、ただの書き言葉を逸脱して、意図した要素を魅せる工夫を込める。ここで常軌を逸することも“(大西)流”のひとつの語り草だが、その裏にある妥当性の説明責任を果たしてはじめて評価の俎上に乗っていることを忘れてはならない。

 

ここまでをだいたい昼休みまでに終わらせられればペースとしては上々。飯を食いながら文章の枝葉を考えて、あとは(決定案の模型を見つつ)描くだけだ。

 

 

1.空間構成


f:id:GDpass_K:20180924170545j:image

f:id:GDpass_K:20180924170539j:image

f:id:GDpass_K:20180924170506j:image

空間構成のエスキースは、A3×3枚配布されるうちの1枚しか使わない。それを縦に2等分し、左を計算問題、右を構図(構成)…に本来は使うのだが、本番は計算問題がない代わりに構成があったので、それを長くとった。

基本的には総合表現のエッセンシャル版で、形態の特徴や条件から構成の起点を定め、そこから2〜4回発展して打ち切る。

おわり。

 

 

0.補遺

以上に説明してきた一連の方法論について、作者として幾許かの思弁を添える。それにしても…こういう体系はあまりに多くの思考を巻き込んでいるから、ここから先はいくぶん取り留めのない読み物になってしまうことをお許し願いたい。一読して全てを把握するような記事ではないから、行ったり来たり、飛ばししたり日を開けたりしながら、少しずつ情報に浸透してほしい。

i.エスキースエスキース

そもそもこういうエスキースの方法論というものがいかにして生まれうるか、そのストーリーから。

多くの受験生は毎週何時間もエスキースというものをしながら、それをメタ的に最適化することをせず、最後まで“なんとなく”のまま受かったり落ちたりしていく。こういう“慣れ”によってしか進歩しない不毛な受験対策から抜け出すには、何ものにも縛られずエスキースをする時間をとることが全ての始点になった。

こんなことを言っておきながら僕自身は再エスキースは面倒でしていなかった。授業であれだけ考えたものをまたやり直すのは結構気力が要る。じゃあ何をやったかというと、問題から自分で作っていたのだ。ひとの作った問題は「こんなもの入試には出ない」と斥けられるが、自分の予想問題なら腰を据えて考えることができた。

ii.書式

実のところ、エスキース-ハッキングの夜明けはそれ以前から始まっていた。端緒はその書式であった。エスキース用紙を本番と同じA3×3枚でやり始めて、その道筋の紙面上での紆余曲折を問題視した。記述には自然な改行の幅というものがあり、A3を縦に使ってもまだ広すぎた。そこで数学の記述問題の解答欄における常套テクニックに倣って、始めはA3に縦に割り線を引いて2行にしていた。しかしページの終わりで区切れができるのがまだ美しくないと思い、スタディ用の両面テープを使って縦につなぎ直すことを考えた。これでようやく本質的なエスキース用紙ができた。

f:id:GDpass_K:20180925135309j:image

入試では空前だったが、学部に入れば“巻物タイプ”のエスキースは比較的普通で、中には長さ20mとかの巻物を作る人もいるという。

iii.スタディ

つぎに、本番で専用の材料が与えられる立体スタディ(建築で模型を立てて検討することをスタディという)に目をつけた。僕の予備校では直前期になっても皆ほとんどケント紙というものを用意せず、本番もスタディ用具に手をつけなかった(そして落ちた)人が多い。藝大側は何らかの意図で用意しているのだから、十分に使わないのはもったいない、提出物を一つ捨てているようなものだと思った。

結局H30はケント紙に加えて紙粘土も用意されたのを見ても、公式のスタディ推しはすごい。

当初は単に「みんなのやらないことで攻めよう」というキャラ作りの動機だったが、すぐに色々な利点があることに気づいた。エスキースにおけるスタディの意義については10+1のこちらの記事が大いに参考になった。エスキース用紙におけるスケッチでも起こることを(フルーツ)が論じていた“アウトプットの他者化”について。ちなみに「とりあえずの理念」というタームはここから借用した。

iv.プロトタイピング

その頃、文字ベースの本をまともに読破できた試しがない僕が辛うじて読めた建築の本があった。藝大建築科准教授でもある建築家・藤村龍至による「プロトタイピング」である。ここで多くの言葉を要さず鮮明に示されていた超線形設計プロセス論の理念が、妙に一直線的な書式・ケント紙3枚を使い切れる立体スタディというふたつの点を繋ぎとめ、線にした。いや、線形にした。

ポイントは自分たちに「ジャンプしない、枝分かれしない、後戻りしない」というシンプルなルールを課すことである。いくつもの案をランダムに生成するのではなく、前後の結果をよく比較し、ひとつの案をじっくりと育てる。───『プロトタイピング』藤村龍至

要は前述した「模型を作ってはフィードバックと改善を繰り返し、単純なものから完成形に至る」という方法論なのだが、氏はこれを実際の建築設計でやっているのだ。これは来し方も先行きも見えない従来の創発的プロセスとは一線を画す、ひとえに社会的な合意形成に特化した、エスキースにおけるアルゴリズムのひとつの極致だと思う。

v.NNとアルゴリズム

話を理解するために、ひとつの対概念をインストールしたい。

イメージするならこれに似ている。

f:id:GDpass_K:20180925131200j:image

僕はこの画像があまり好きじゃない。なぜなら直観的に面白いアイデアをポン!と生み出すのは、往々にしてここで“junior”の烙印を押されているやり方のほうだからだ。けれども、いいモノにたどり着くだけがdesignerの仕事ではない──僕たちはそのモノの「良さ」を可及的多数に共有しなければいけないのだ。それこそが“senior”がseniorたる理由なのである。

葛藤があるのは、やはりポン!と生まれたような直感的な魅力は諦めないといけないことである。例えば僕は巨大な正方形を山肌に沿わせただけの総合表現をしたことがあるけど、そんなものはどうやってもプロトタイピングの結果として在りえない。本番の作品なんか、これは特にひどい。掘り方の2個性…と問題文を読んで真っ先にイメージできる(気がする)ような、何の面白みもない構成だろう。じっさい試験会場でクソつまらない案に何時間も心折れそうになりながら、けれども、これでいいのだと心の中のバカボンにふんぞりかえらせていた。僕はH26のとある参作を思い出していた。


f:id:GDpass_K:20180925190836j:image

f:id:GDpass_K:20180925190840j:image

これの作者もひとかどでは伝説のプロ受験生だったのだが、彼も結局突飛なことはしなかった。誰でもイメージできる(気がする)ようなことを、ただ実直にやってのけた。

だいたい教祖の藤村准教授だって、直感的に面白いものを建ててはいない。誰でもイメージできる(気がする)。けれどもあれには価値がある。それがひとつの最適解だという証明を、線形エスキースを遺したからだ。

書き遺せ。没になった選択肢も、前とほとんど変わらないスタディも、とにかく考えた証を遺すことだ。線形エスキースは案の面白さに対して最大効率ではなくても、ひとつの案が共有する思考量に対して確実に最大効率だ。

そして、それだけに安全だ。波が出ない。僕はNN的なエスキースを始めると、(それはだいたい課題の条件が少なすぎる時である)しばしば行き詰まって爆発し、自己満足回になるか筆を折り帰っていた。で、入試にそれが当たったら負け…そんなバカな話はない。エスキースを定式化すれば、直観やアイデアに依存しないぶん、光るものにはならなくても時間をかけただけの質が保証される。なぁに、背後にエスキースが光ってるんだ。

vi.表現の自由

エスキースで責任取ってるから大丈夫──このことを僕は当初からシニカルに捉えていた。つまり、説明なしでは異常と捉えられる表現を、エスキースによって合法化するのだ。それは提出物の末端においても、造形そのものにおいても…。

本番ではほとんど発揮されなかったが、もともと僕はシュールでデコンストラクション(脱構築)的な造形を好む作者だった。ところでその不可解さにつけて予備校での評価はうだつが上がらず、じゃあそれがいかに“成り立っている”かを共有してやろう、というのが線形エスキース開発の裏の思惑であった。(結局エスキースを見ない講師からの評価は最後まで変わらなかった(3軍とか言われていた)ので、僕は講評を聴くのをやめた。)

それに、NNを捨てることが案の飛躍を阻害するとはいえ、立体スタディエスキースの基軸にしたことで、単純に造形の操作性が向上した。特に平面素材操作系(H28,H29)にめっぽう強く、素材をリアルでこねくり回す作業を線形的に重ねれば、想像でできる範疇を超えた複雑な結果が得られた。

f:id:GDpass_K:20180926113738j:plain
f:id:GDpass_K:20180926161710j:plain

同時に提出物の末端においては、文章の詩調や色鉛筆使用、B3での環境巨視、B2での1視点画面(切断)分割や立体への着彩、さらには空間構成における奥闇と、形式ハック的表現(とその説明)の引き出しを着実に増やしていた。そしてこちらは本番で概ね放出した通りだ。妥当性で導かれる結果をどこか超えた、面白さを求める僕のNN的動機があった。

そんなわけで、アルゴリズミックなプロセスを素直に(藤村氏のように)アルゴリズミックな結果に献ぐのではなく、むしろ皮肉を込めて盛大なNNの背骨にするという僕のエスキースは“線形デコン(ストラクション)”という些か矛盾を孕んだ異名を自称していた。そういえば相反する2極をもって課題の幅に適応せよなんて個性論もあったっけ。

本当に、僕はアルゴリズム的創造性が元来好きじゃないんだよ。入学したら好きなだけNNになりゃ良い、ただ入試をこれでパスするだけだ。まったく入試で受験生の何がわかるってんだ。

vii.線形の偽装

僕が所謂アルゴリズム(的建築)を好まない理由は、その根本的な詭弁にある。NNとは他でもない人間の脳みそのことだと定義した。すなわちおよそ人間の意志が絡んだ創作は、本質的にNNでしかありえない。ならばここまでひたすら論じてたアルゴリズムとは何だったのかというと、それは人間による恣意的な偽装であり、“アルゴリズム的NN”にほかならない。このことは前出の「超線形設計プロセス論」でも冒頭で自覚されている。

まったく、建築家やデザイナーというのは嘘をつく職業だと思う。矮小なNNをいかに巧妙に翻訳し、ひとを言いくるめるか…学部生に聞いてもだいたいそんなことを言っている。

はじめにアイデアがあり、あとから論理が通ずる。この記事の構成も、そんなことを意識した結果である。情報の順序が逆のようで、人間の認知にとっては自然なのだ。本来は先にあるべきものが、実際は後にある。このエスキースの確立も、形式から入ってあとから論理を入れ込んだことは読者の目にも明らかだろう。あ、ここらへんはもう、時系列的にはエスキースの概形ができたあとの、運用の注意点みたいな話ね。

viii.成り行きと空間

それから、メタ的なコンセプトや巨視的な概形から判断を積むスタイルには重大なトレードオフがある。ヒューマンスケールの体験に根ざした検討が相対的に手薄になることだ。

そこで、模型に人を入れるとか、フィードバックに人目線のドローイングを挿入するとかいったことが、せめてものバックアップとして須要になった。

それでもここはひとつの弱点のままだった。本番の総合表現も結局、人はどうやってあそこまで登るのかとか、空間体験で真っ先に問題になるところにまったく検討が及んでいない。人目線の空間体験から考えてそれを素材や条件に合わせるアプローチだった先輩(A評価)を見て、それが本当の順序だと思ってはいたが、そのプロセスのアルゴリズム化は難しかった。

これはプロセスを裏で操るNNや与える検討項目の洗練でマシに処理することができるはずだが、根本的な解決にはならない。ひとつの課題として、後輩たちに残しておこう。

ix.空間構成

ここまで暗黙のうちに総合表現を念頭に話してきたが、空間構成のエスキースはそのエッセンシャルな部分に収まる話である。こちらは従来NNでも総合表現ほど深刻なエスキース崩壊には至らなかったが、印象戦における個人のキャラの貫徹ということも考え、その線形化は総合表現から逆輸入(?)するかたちで最後に確立された。空間構成の構成はアルゴリズムで光らせにくいし、あまり重要だとも思っていなかったので、最終的には他受験生を嘲笑うかのような簡潔さに収斂した。

x.後輩たちへ

ながなが10000字にも膨れてしまった。入試対策で卒論書ける。それで、僕はこの(大西)流・線形エスキースを、藝大入試における「見せるエスキース」の極めて洗練された到達点だと自負してやまない。なんと言っても、本番出るか出ないかの要素に頼らず、もはや落ちる可能性がないのだ。本試前後の僕の数々舐めプも頷けるではないか。合格発表も冷めたものだ。ここに真の入試対策の完成を宣言しよう!新規性とかいう問題じゃないから、これそのまま真似すれば(少なくともそれが15人以下なら)まず受か…

──否。君たちに真似はできない。いや、能力の問題ではないんだ。

長々と読んできて、参考になったところもあれば、反駁したいところもあっただろう。よくわからないところも多かったかもしれない。それは当たり前で、全ての受験生は影響を受けた事物を異にし、思考体系の偏向と際限を異にし、そこに受験生の数だけの最適化があろうことを僕たちは知っている。ここに示したのはあくまで僕の、僕の中での最適解だ。たかだか今年の80人の中で“1番だった”とて、その上に何も無いわけもない。

ただ、僕は僕の仕事をした。あるべき自負はここにある。先行研究をサーヴェイし、近接分野を導入し、新たな体系を打ち立てた。それを発表するために大層なメディアまで拵えて(ほんとうに僕が藝大受験界に書き遺すべきはこの記事だけだった)。そしていま、君たちがこの山を登りつめ、頂に新たな石を積み始めるだろう。

願わくば、“次の10000字”のあらんことを。

 

(大西)